

当サイトをご覧いただきありがとうございます。
メンタルトレーナーのアモロゾ陽子と申します。
私の事を少しでも知っていただきたく、自己紹介させていただきます。
東京都立川市生まれ。
最も長く続けてきた仕事は、タイ式ボディケアトレーナーで約16年間携わってきました。
幼少期から「ほんとうの事が知りたい!!」という思いがあり、自分にとっての「ほんとうの事」を模索する旅を続けてきました。
数々のスピリチュアルな世界の学びや修行の後に、身体も物質も心も意識もすべて「素粒子」で出来ているということや『量子力学』と出会い、その中で素粒子の持つ性質を知りました。
量子の世界を知ることで、今までに学んできた知識がすべて繋がっていき、目から鱗が落ちるように、見えない世界が理論的に腑に落ち、『科学の力でずっと欲しかった「結果」に出会えました!!』
私があちこち頭をぶつけながらようやく簡単に変われる方法に出会えたので、皆さんにも軽やかに望む自分自身になって、どんどんと望みを叶えていくサポートをさせていただきたいと思っています。
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一般社団法人エナジーコントロール®協会認定開運覚醒®ナビゲーター(2022年8月~)
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一般社団法人エナジーコントロール®協会認定講師グランドマスター(2021年11月~)
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一般社団法人日本胎内記憶教育®協会認定講師(2019年11月~)
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TRT心理セラピーセラピスト(2019年~)
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タイ式ボディケアトレーナー(2006年~現在 約16年)
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タイにて尼になりスピリチュアル 修行経験(2009年~2015年)
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タイ バンコクにて日本語教師(2004年4月~2006年3月)
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沖縄離島、アジア諸国バックパッカー(2000年~2016年)
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日本大学商学部経営学科卒業(2000年)
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レイキヒーリング サードレベル終了
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ハンドスキャンヒーリング取得
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アクセスバーズ
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透視リーディング
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オパセラピスト
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NLP心理セラピスト
セラピストとしての経歴
セッションや講座を受けていただくにあたって、私自身がどんな人なのか、多少なりとも知っていただきたいので、
私の生い立ちも含めて経験や想いを自己開示しようと思います。
まず、幼少期から時系列でお話していこうと思います。


幼少期時代
小さいころから、「本当の事がしりたい!!」と思うような子供でした。
大人が子供に対して、良かれと思って言ってくれることが「ほんとうにそうかな?」と感じ、人が発する言葉の裏にある本当の想いを探すような子供でした。
小学校時代

小学校入学式、1クラス40人の友達一人一人に「今日から私とお友達になってくれる?」と自ら積極的に聞いて回りました。
小学校4年生までは毎日が最高に幸せすぎる日々を送ります。
まさに天真爛漫。なんの不安も感じることなく毎日が満たされていました。
が、4年生のある晴れた日、公園で事件は起こりました!!
名付けて「トランポリン事件!!」上級生の足を遊んだ拍子に踏んずけてしまったのです。
なぜか絶対に謝りたくなかった私はその日を境に、5,6年生学年全体から集団無視を受けることに。。
一夜にして天国から地獄に突き落とされたような日々の幕開けでした。
中学・高校時代
トランポリン事件からすっかり自分をどう表現していいか分からなくなりました。
集団無視の経験から人が急変してしまうことに怖さを感じ心を開けなくなっていました。
教室の隅っこでひっそりとなるべく目立たないように過ごしていました。
一番の恐怖の時間は休み時間のような自由時間。
こんな自分を変えたくて、高校は誰も私を知っている人がいない私立の学校を選びました。
が、環境を変えてもトラウマは克服できず自分に自信が持てない、自分を全く表現できないそんな何しても心から楽しめない高校生活を送りました。
大学・社会人時代
大学生活では数名の仲良しのグループができ、楽しい時間も送れましたが、その仲が良かった友達に裏切られたと感じる出来事をきっかけにまた人が信じられなくなり対人恐怖症になり約1年間引きこもりに。
大学3年生後半になり、周りの友達が就職活動を始めていきました。
だけど、たくさんの会社を回り面接で志望動機を言って回ることがとても嘘っぽく感じてしまい、それがどうしてもできませんでした。
やりたいことが全く分からない中、消去法で選んだたった一つの業種がエステの会社でした。
面接日当日、雨が降っていました。
スーツを着て、駅に向かうのに傘をさして自転車を走らせました。
が、雨だったため坂道で自転車が横滑りをし、横転!!グワーッと見事に大ごけをし、スーツはビリビリに破れ、手のひらの皮は剥がれて、ひどい血だらけの姿になってしまいました。
その時「これはもう就職活動をするなってことだな」とひとり合点し、それから沖縄に一人旅に行く決意をしました。
旅の中で、自分が本当にやりたい事に出会えることを期待して。

沖縄の竹富島で人生の先輩と言える方々の経験、ストーリーを聞き、やっぱり人生って小・中・高・大学と進んだ後、就職するだけが「道」ではないよなぁ。と感じました。
そんな話を聞きながら、私は本当は何がしたいんだろうと自分に問いかけて出てきた想いが「海外に住みたい!!」この憧れがあったことを思い出しました。
ただ海外に住むにはお金がかかる、留学もお金がかかる。
そこで出たアイデアは『日本語教師になって海外に住む』でした。
そうと決まれば行動が早い私。
旅から戻り、日本語教師になるための学校に約1年間通いました。
人に何かを教える事なんて、大の苦手!と思っていましたが、やりたいことに向かう為、模擬クラス演習ではめちゃくちゃ緊張し、震えながらやっていました。
この頃たまたま見かけたテレビで有名な女優さんが「実は人見知りなんです~」って言っているのに衝撃を受けました。
あんなに堂々と演技をしているのに人見知りって??私にとっては信じられませんでした。
そこで気がついたのが、『どんなものも役として演じ切れば立派に見える。それをやり続ければ自分のものになる。』ということでした。
それから自分にとって苦手だったり、経験したことがないと感じるものをあえてアルバイトとして仕事にしてみようと思いました。
コンビニ、レストラン、居酒屋さんなどの飲食店の接客業、電話対応が苦手だったのでコールセンター、ホテルでのマナーと接客を身につけるため配膳業結婚式場での接客業、派遣での事務作業、工場内のベルトコンベアー作業、街角での看板持ちや訪問営業まで、求人募集がある看板を見ては飛込み、面接をお願いしたり、やったことがないものを片っ端からやってみました。
苦手と思うものが少ない方がそれだけ自由を感じられると思ったからです。
そんな中、無事に日本語教師の資格が取れ、インターンとして派遣されたのがタイでした。
ここでもう一つ大きな出会いがありました。
実は日本語教師養成講座終了後、最後の日である修了式に出会った別のクラスの男性に一目惚れをすることに。
あー、講座も終わりだし、これからもう会えないんだーとガックリ。
そんな時、学校の掲示板にタイでの日本語教師インターンの募集があったので、お!これは!と思い、行きたいと名乗り出ました。
そしたらなんと偶然、一目惚れした男性も行くとなって、タイにて大恋愛に発展。
駆け落ちをするほどのいきおいの中で、哲学的な考えを軸に持つ彼に影響され、自分という人間に深く向き合うことになりました。
4年半の末、お別れすることに至りましたが、彼から受けた影響は計り知れません。
自分にとって自立がテーマになり、日本語教師のお給料がとっても安かった事もあり、他に手に職をつけようという発想で、タイでタイ式マッサージを勉強して帰国する流れになりました。
忘れないように仕事として温浴施設で始めたタイ式マッサージがいつの間にか本当に自分の仕事になり、情熱を持ち始めることになりました。
スピリチュアル修行時代
お客様に向き合う程にタイ式や身体に関しての奥深さに引き込まれ、本当の意味で人を癒せるようになりたいと思い、再びタイへ武者修行へ向かうことに。
タイのバンコクやチェンマイでいろんなタイ式の学校を渡り歩きましたが、どの学校も、その学校の施術の流れしか教えてもらえず、疑問が生じました。
人の身体はみんな体型や、その上持っている問題、症状が違うのに、全ての人に同じ流れの施術をしていい訳がないんじゃないかとモンモンとしていたところ、チェンマイ在住で、イラン出身のスピリチュアルティーチャーのシャラム先生にひょんなきっかけで出会い、私の人生が一変していきました。

私が願ったのは「本当の意味で人を癒せる人になりたい」ということ。
その時シャラム先生からの答えは「それは、自分自身の魂を成長させること」でした。
先生の言う魂の成長とは自分のエゴやマインドに支配されていては施術においていいエネルギーが流せないという事。
自分はまっさらなパイプ役のように透明になる事が求められました。
それから、毎日瞑想をする日々。
自分のエゴやマインドを見ては手放す作業をひたすらに深く自分自身と向き合う日々でした。
そして先生のもう一つの教えが「執着を手放すこと」でした。
ある日私は女性として見られることの執着の象徴でもある長かった髪を剃り、坊主姿になりました。いわゆる苦行の道を進むことになり、それはそれで、私の人生で最も辛い章の幕開けでもありました。
味わったこともなかった神秘体験もしましたが、そこで苦しめられたのは「サイキックアタック」と呼ばれるものでした。
それにより、鬱のような廃人のような状態にまでなってしまいました。
まるで自分が自分ではない状態、莫大な恐怖心やあらゆるネガティブな見えないエネルギーに翻弄されていきました。

再び沖縄へ
このままここにいては自分が壊れてしまうと判断し、その場所を離れることになりました。
坊主姿になった私は両親にも勘当されていたため、行き場がなく以前変わる事ができた沖縄竹富島を目指し向かいました。
島の食堂で働かせてもらい、平屋の一軒家を貸してもらえることに。
が、私がどこへ行こうとも、サイキックアタックは止まりません。
島を追い出されるような事態になってしまい、もう、どうやってこれから生きていったらいいか全くわからないまさに絶望状態でした。
別の島に移動し、なんとか居酒屋さんで働かせてもらうことができました。
休みの日には海に行き歌を歌ったりして気持ちを立て直そうといつも一人でもがいている状態でした。
そして約一年経ち髪が伸びたころ、何食わぬ顔で実家に戻りました。(笑)
胎内記憶との出会い
自分のやりたい事と、両親が私に望むことの違いから、お互いを分かり合えない時期を長く過ごしてきました。
両親の反対を押し切り、常に自分のやりたいと思うことを押し通しつつも、「両親に信頼されていない」「気持ちをわかってもらえない」「理解し合えない」 という、とても気持ちが通い合えてるとは言えない関係が長く続きました。
「どうして私を理解してくれないの?」という言葉が、いつも私の心の中にありました。
本音を話しても理解してもらえないと思い、家族の前で自分の気持ちを話すことはほとんど無くなっていました。
私にとって、『家族=理解し合えないもの』 という図式が出来上がり、私の頭の中で強硬な観念として居座り続けるようになりました。
そんな状態だったので、何か決めるときは相談ではなく、いつも事後報告。
自分が決めた後、行動の直前に一応渋々言う。
相談しても反対されるのは分かっていることが多く、反対されて、自分の意志を断念したとしたら、後になってできなかった言い訳を両親のせいにすることもしたくなかったと言う気持ちが強かったように思います。
ですが、その後映画『かみさまとのやくそく』や『胎内記憶教育』との出会いがきっかけで この時に私が感じていた「家族のあり方」「両親との関係性」に大きな変化が見えてくるのです。
「胎内記憶教育』に出会い、両親との関わり、物事の捉え方が変り、今まで点と点だった自分の経験が線になり、今まで後悔していたような経験までもが色鮮やかなストーリーになっていきました。
人生の答え合わせができた感覚にも近い、全ての経験に意味と価値が見いだされ肯定できるようになりました。

胎内記憶教育協会の理事 池川明先生と土橋優子先生と
最新科学・量子の世界へ
いろいろな見えない世界の事を探求し、修行もしてきて頭ではわかっているのになかなか変われない部分がありました。
それは潜在意識の深い部分にある自己認識の部分です。
「自分自身を愛したい」「自分に自信を持ちたい」「自分を信頼したい」「自分を認めたい」
この部分はいくらそうしたいと願い、アファメーションを唱えたりしてもなかなか変えることができませんでした。
この部分を変えることができたのが量子心理メソッドです。
見えない世界に翻弄されていた私は量子力学の科学の世界を知り、ものすごく意識が自由に、もう見えないエネルギーに怯える必要はないんだと安心感を得ることができ、やっとずっとずっとなりたかった自分自身になることができたと言えます。
曖昧な見えないスピリチュアルな世界にも科学で証明された法則がありました。
苦行をして得たかった能力が、科学の方程式で得られてしまいました。
簡単に自分の感情をいつも浄化することができるようになりました。
量子力学の科学の世界を知り、無限の可能性の中から叶えたいものを自由に確定し、簡単に引き寄せを起こせるようになりました。
潜在意識のマイナスな過去の情報は簡単に周波数を変え、軽やかに望む現実を創造していける時代になったんだと私自身がびっくりしています。
もう苦行はいらない時代になりました(笑)

ミセス・インターナショナル日本代表に選ばれ
アメリカ世界大会の舞台へ
まずは量子心理メソッドを自分自身に使い続けました。
自分が変化を起こせないとお客様に対して説得力に欠けると思ったからです。
それによって起こった現実の変化は、HSP繊細性の改善、あがり症の改善、自己肯定感の向上、自身の講座の開始、家を新築し、年収数十倍に、そして会社の設立…と精神的にも物質的にもガラッと変化が起こり自分自身でもその変化の速さにびっくりしていました。
自立して自分自身の浄化が簡単に出来るようになり、恐れが湧き上がれば簡単に消去し、どうなりたいか、目標があればその情報を量子力学の数式で成り立った技術を使って設定する。
ただこれを繰り返すだけで、自分自身が、生活が、仕事が、欲しい変化がどしどし引き寄せられてきました。
全て順風満帆にいくようになり、幸せを実感していたある日、何名かの預言師の方に「もっと目立つ服を着なさい」「美を表現しなさい」「あなたは表舞台で、美を表現して、表彰されるでしょう」と立て続けに言われたんです。
「え?!私が?!」全くもってそんな願望はなかったのでとても驚きました。
でもよくよく考えると、私は坊主にして修行をしていた過去があるので、無意識に「着飾ってはいけない」「女性性を表現してはいけない」「目立ってはいけない」と自分自身に制限をかけていたことに気がつきました。
もしかしてこの制限を外した方がもっと生きやすくなるのでは?
もっと自由に自分を表現することに繋がるのでは?
より完全性を追求する私に更なる可能性を広げるために立て続けにメッセージをくれているんだと感じるようになりました。
そこで「じゃあ実験だ!!」という感覚で、せっかく現実に変化を起こせる技術を持っているんだから、「コンテストに出る機会が得られる」と設定してみよう!と量子心理メソッドを自分に使いました。

そしたらなんと、約一か月後に2023年にミセスインターナショナル日本代表に選ばれた方からひょんなきっかけでご連絡をいただいたんです!
もう、びっくりして、その方に私が預言でいただいた内容をお話したところ、「それだったら来年のコンテストに陽子さん出てみない?」とお誘いされたんです。。
「えー!!!ほんとにびっくりな展開!!」(自分で設定したんだけど、、ほんとにきちゃった。。)というのが本心でした。
お誘いをいただいても、ものすごい恐怖心が湧き上がり、なかなか決断することができませんでした。
それくらい『女性が美を競う世界』に恐怖心を抱いていたことに気がつきました。
でも、お誘いしていただいた方から、「来週ドレスを着て撮影する会があるんだけど、良かったら参加しませんか?」と。それもちょうどその日だけ予定がぽっかり空いている。。。
「出会い」「オファー」「タイミング」がまるで用意されていたかのように次々にやってきました。
止まらない押し流される展開に、もう降参せざるを得ない心境になりました。
その後、意を決して「伝えたい想いがあっても表に表現しなければ知ってもらえない。自分が幼少期から持っている想いを表現できる舞台になるんじゃない?もうやるんだ!!」と自分に言い聞かせて覚悟を決め、コンテストに応募した結果、無事にファイナリストに選ばれました。
最初こそ恐怖心があったものの、「全て自分を実験台にするいい機会じゃないか。恐れが湧き上がるごとにそれを消去し、どういう自分になりたいのか?」これに対して技術を使い続けました。
すると、ウォーキングや身体的な表現という苦手意識があった未知の経験や諦めていた姿勢の改善、ダイエットなど設定するほど変化が現れ、変わっていく自分自身に心から夢中になることができ、どんどん楽しくなっていきました。
そして自分が本気でチャレンジすればするほど、魂の家族と感じられるようなご縁にもたくさん恵まれ心から応援してくれる方たちとの出会いが広がっていきました。
そして大会当日、沢山の応援をいただき見事日本代表グランプリをいただき、アメリカの世界大会への道も開かれていきました。
それは今までに味わったことのない景色と感動の嵐でした。

海外での活動へ発展
その後、私の大好きな国タイとの橋渡し的なお役割をいただいたり、タイのデザイナーさんのコレクションモデルに抜擢していただいたり、タイのテレビ局9社にインタビューしていただく機会などをいただきました。
もう、以前からは想像もしなかった世界に自分が立っていることに驚くばかりです。
